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こんにちは、当サイト管理人むさしです。
こんなマニアックなサイトを運営している「むさし」とはどんなヤツなのか、この場を借りて少し自己紹介させてください。
むさし基本データ:
名前:むさし(某格闘選手とは無関係)
年齢・性別:40代・男性(既婚)
好きなもの:安くておいしいもの(食いしん坊、 not グルメ)、動物
大切なもの:家族、仲間(公私含む)、自分や家族や仲間のために使える時間
私は、英語圏での生活が10年以上となる会社員で、現在のところ某日系企業の海外子会社にマネージャーとして勤務しています。
こんな私ですが、実は元英語嫌い、元英会話恐怖症だったんですね。
「え?」と意外に思われるかもしれませんが、本当です。
これまで、英語・英会話とは色々と闘ってきました。
その私が今の生活に至るまで、どのような闘いの道を歩んできたかをお話ししたいと思います。
この記事の目次
超絶に英語嫌いだった高校時代と受験勉強
英語なんて自分に関係ないと思ってた
高校時代の私は、英語が超絶に嫌いでした(成績はかなり下の方)。
「なんで日本人が英語なんか話さないといけないんだよ。日本から出ないなら関係ないし」
なんて平気で言ってましたね。
今の私を見たら、当時の私はどう思うでしょうか…。
そうは言っても他の科目ができたわけでもない私、大学受験のためにしょうがなく英語の詰め込み勉強をしました。
単語、熟語は紙が真っ黒になるぐらい書き、文法も構文も丸暗記。
根性だけで勉強する、力任せな方法でした。
受験勉強中に訪れた転機
そんな勉強を続けていたある日、英語の長文を読むときにブツブツと声に出して読んでいると「英語がスッと頭に入ってくる」という経験をしました。
あれは自分でもビックリしましたね。
どうやら詰め込んだ知識が音読によって有機的につながり、体に染み込んでいったようです。
それからは「英語が分かるようになった!」という手ごたえを得て、英語はそこまで苦手でもなくなりました。
もちろん「大の得意!」でもありませんでしたが。
同時に「英語は絶対に音読!」という絶対音読主義にも目覚めました(現在も)。
大学卒業、外資系企業に就職
周りに刺激を受けた新入社員時代
とは言っても、学生時代は海外に行ったわけでも留学生と交流していたわけでもなく、英会話とは無縁の生活をしていました。
英語との関わりも、たまにペーパーバックで英語の小説(John Grishamとか好きでした)を読む程度。
Japan Timesなどの英字新聞は「読みづらいうえに面白くない」のでパスしてました。
そうして大学を卒業後、私はIT系の職種を経由して某外資系企業の主力部門に専門職として転職することになります。
やはり外資だけあって海外勤務のチャンスもあり、数年の海外勤務から戻ったマネージャーの元で働く、などということもしょっちゅうでした。
ヨーロッパ駐在から戻った女性マネージャーからは
「将来海外勤務したいなら、今のうちに質の高い英文を自分の中にストックしておきなさい」
との助言を頂いたこともあります。
周りも「海外に出て働きたい」という志向の同僚が多く、大いに刺激を受けたものでしたね。
その会社で私は、海外とのやり取りが多い部署やプロジェクトに配属され、仕事で英語漬けになります。
とは言ってもメールでのやり取りが主体で、シビアな英会話は要求されませんでした。
でも実は日本化されてる外資だったりして…
実は社内はけっこう日本化していて、それほど多くはない外国人社員も日本語堪能な人が多かった記憶があります。
あるオーストラリア人などは、通勤電車でマンガ雑誌を読んで通勤するという「まるっきり日本のサラリーマンだろ!」という感じでした。
電話でも、彼は完全に日本人でしたね。
聞いたところでは、彼は若い頃に北海道に住んでいて、周りが全く英語を話せなかったために日本語が劇的に上達したらしいです。
そのような環境の中、「自分は英語が得意」という間違った自信を得たのもこの頃でした(実際は読み書き限定だった)。
海外勤務で初の海外生活
海外転勤がやってきた!
入社から7年目のある日、私は上司から「アメリカ行かない?」という話を持ち掛けられます。
まだ肌寒い、3月の初めのことでした。
勤務地はカリフォルニアのグループ会社。期間は約2年半。
現地の日本人マネージャー(駐在員)が家庭の都合で退社して帰国するので、その後任ということでした。
「ついに海外勤務!!」という感動に打たれた私でしたが、既婚者としては家族の意向もありますのでカミさんに相談。
ところがカミさんは当時、ある会社に専門職として転職したばかりで、キャリアの途中で私の転勤について行くことに消極的でした。
あの夏の日を忘れない
数か月のすったもんだ、行く・行かないの迷い、果ては離婚する・しないという騒動を経て、最終的には晴れて夫婦そろってアメリカに旅立ちました。
8月末の、暑い暑い夏の日でした。
あの時の飛行機の中での不安な気持ち、着いた朝のギラギラした日差しと真っ青な空、そして鼻の奥を痛くするカリフォルニアの乾いた空気は、今でもはっきりと覚えています。
私にとっては初の海外生活でしたが、幸か不幸かカリフォルニアには大きな日本人コミュニティーがあり、やろうと思えば日本語だけで生活ができてしまうんですね。
30年も日本語だけで生活している人もいる、という話も聞いたことがあります。
仕事についても「日本から2~3年来ているだけだし」ということで、あまりシビアな目には合いませんでした(顧客も日本企業・日本人担当者ばかりでした)。
ですので英会話に関する問題は、たまにはあるものの、それほど表面化はしていませんでした。
現地で同業他社へ転職、本当の試練への序章
今だから言える話
今はもう時効でしょうから書いてしまいますが、実は海外に出た時から、2〜3年で日本に帰るつもりはありませんでした。
自分自身も「3年程度じゃ短い」と思っていたのもありますが、キャリアを一時停止(休職)してついて来てくれたカミさんに申し訳なかったからです。
アメリカでもカミさんは同種の職を探していたのですが、現地での業務経験が無いとなかなか雇ってもらえないのが現実でした。
「やっぱり日本に残ればよかった」などと言われ、私も申し訳なく、辛い思いをしたものです。
今でもカミさんには「一緒に来てくれてありがとう」と感謝しています。
夫婦そろって転職、アメリカ残留へ
そんな中、私の駐在生活最後の年のある夏の日、カミさんにある会社から面接の知らせが届きました。
カミさんはもうやる気満々、試合前のボクサーのようでした。
カミさんがこっちで働くなると自分も残ることになる。
そうすると、やはり転職となるわけですね(駐在員の現地社員化は難しかった)。
そこで私も職探しをしてたところ、あるツテを通って同業他社からお誘いが来ました。
今考えれば無謀でしたが、その頃は無駄に自信に溢れていましたから、英語の面接もがむしゃらに乗り切りました。
英語面接の洗礼
英語面接では、自己紹介の後でいきなり
「ところで過去に上司と意見が対立したとき、あなたはどう対応しましたか?」
ということを聞かれて、頭が一瞬真っ白になりましたね。
なんとか脳みそフル回転で過去の出来事を思い出し、それを100倍にふくらまして身振り手振りを入れて話しました。
後で聞いたら、答えよりもとっさの対応能力を見るための質問だったそうです。
その時の英会話力は「なんだコイツ」レベルだったのかもしれませんが、紹介者(自分が居た会社から移った人)のプッシュもあったのか、なんとか転職が決まりました。
しかし、本当の試練はその後に来たのです。
本当の英語生活の始まり、試練と絶望
現地採用はつらいよ
転職先での勤務は現地社員、つまり「英語が話せて当然」な立場です。
日本人駐在員のように「相手が分かってくれる」立場にはないわけですね。
その場所柄、世界中から人が集まって来ていますが、みんな英語は流暢で、そのうえで仕事もバリバリ、という感じでした。
周りも以前よりアメリカ人やネイティブ並みの比率が増え、アメリカ人上司と働くことも普通になりました。
そこで一気に私の英会話の問題が噴き出し、私は英会話恐怖症になってしまったのです。
英会話恐怖症を発症!仕事も生活も大変に
話しても「ハァ?」と言われて通じない。
相手の言っていることが速くて聞き取れない。
会議でもなかなか発言できず、発言しても「え、今なんて言ったの…」という困った顔をされてスルー、などということもありました。
私生活では、銀行のカスタマーサービスに電話を途中で切られたこともあります。
このような環境では、英語コミュニケーションの良し悪しが仕事に直結します。
案の定、私の仕事の評価は下がっていきました。
それと同時に精神的にも打撃を受け、頭や手がしびれる、夜中に何度も目が覚める、何をしてても落ち着かない、などの症状にも苦しみ始めました。
その頃に診てもらったドクターによれば「24時間、非常に強い緊張状態にあった」らしいです。
このようにして私は英会話恐怖法になり、その絶望から抜け出る方法を探し続けたのでした。
絶望の底で見えた光
藁をもつかむ気持ちで取り組んだトレーニング
職場の期末評価にも「英語でのコミュニケーション能力を改善すること」などと書かれ、必死に英会話の上達に関する情報を集める日々。
でも日本には帰れない。
こんな状態で、まだ日本には帰りたくない。
辛い反面、そのような思いも頭をグルグルとしていました。
そんな中、よくYoutubeで動画を見ていた英会話講師(アメリカ人)からのメルマガで「発音トレーニング」を紹介されたのでした。
「発音トレーニングか…発音を直せばもっと通じるし、こんな思いをしなくて済むかも」
と思い、私は即座に申し込みました。
そして、このトレーニングこそが私を救ってくれた救世主だったのです。
私の目を開き、英語で話すことが苦痛でなくなっていった
そのトレーニングでは、まず「英語の訛りとは何か」ということから講義が始まりました。
今まで英語の発音練習と言えば、口を曲げて「ウェユ(well)」とか「ベラー(better)」などばかり見てきた自分としては、非常に新鮮でした。
こうしてトレーニングを3カ月ほど続けているうち、単に英語の「音」だけでなくトータルな意味で「相手に通じるように英語を話す」ことができるようになっていきました。
そして、本当は不思議でもなんでもないのですが、スピーキングの向上とともにリスニングも向上していったのです。
その変化に気づいたときは、それまで暗い雲がたちこめていた空がパッと晴れた瞬間でしたね。
ついに英会話恐怖症を克服!しかし会社を退職することに…
会社のストレスはなかなか消えず…
こうして英語の発音とリスニングを向上させた私は、いつのまにか英会話恐怖症を克服できていました。
しかし、仕事と会社から受けたストレスは消えず、私は会社を退職して隣接分野での起業・独立を決断。
今まで勤め人として生きてきた私にとって、それは大きな挑戦でもありました。
しかもその分野は、私がそれまで本業としてきたこととは少し違う分野でしたので、知識の土台も人脈も一から作り上げる必要がありました。
そのため私は、今まで以上に色々な場所へ行って色々な人と話すなど、様々な努力をしました。
あれ?英語環境でも困ってないぞ?
当然のように取引先も同業者も顧問弁護士も全部アメリカ人(か同等に話す人)でしたが、そんな中で「フル英語環境でも困っていない自分」を発見したのです。
それは、心の中でガッツポーズをしてしまうほど、うれしい発見でした。
このようにして、私は英語の発音トレーニングによってスピーキングとリスニングの力、そして英会話脳を手に入れて海外生活をエンジョイできるようになったのです。
ただ、今考えれば「日本にいるときに発音に取り組んでおけば…」と思うことも少なくありません。
そうしたら、あのような苦しい思いをしないで最初からバリバリ活躍できたのに、と思ってしまうこともありますね。
現在
2年ほど自分の事業を続けたところで、今度はカミさんがまた転職し、別の場所へ移ることになりました。
そちらの場所では、私が当時やっていた業務は継続できなさそうなので、私は会社を閉めて一緒についていきました。
とは言っても稼がないといけませんから、エージェントを使って某日系企業(現勤務先)に再就職し、現在に至っています。
最初に書いたように、私が日本を出てから10年以上の月日が経ちました。
その途中で私は、英語環境でボコ殴り(語学的な意味で)にされたり殴り返したり、という闘いも経験してきました。
実を言うと、英会話恐怖症が悪化したときは本当に「この世の終わり」のように感じていました。
でも口と耳が英語モードになってからは、仕事、生活ともに英語環境で気楽に過ごせるようになり充実しています。
このサイトについて
日本の現状を振り返ってみると、今でも多くの人が英会話で苦闘しています。
そして「なんとか英語が話せるようになりたい」「できれば努力したくない」という思いに付け込んで、効果の無い教材や勉強法がが堂々と世に出ているように、私には見えます。
そのような教材や勉強法で、あなたのお金と時間を無駄にしてほしくはありません。
何より、日本人にはもっともっと英語が話せるようになって、世界とつながっていってほしいと思っています。
このサイトはそのような考えから、あなたの英会話上達に役立つ情報をお届けしています。
このサイトが、英会話力の向上を通じて、あなたの望む未来を手に入れる手助けになれば幸いです。
むさし