外国人観光客のために店員さんも英語が話せるようになるべき?

この記事を読むのに必要な時間は約 11 分です。

外国人観光客と店員の英語対応

少し更新の時間が空いてしまいました。

実は昨日まで出張中でしたので、忙しくて(ということにさせて下さい)なかなか更新できませんでした。

今回の出張でも、仕事の関係で京都駅周辺に滞在していたのですが、やはり京都は外国からの観光客が多いですよね。

そこで必ず出てくるのが英語対応の話。

英語で道案内をした話については、こちらの記事で紹介しました。

参考記事:《実話》英語で道案内!外国人に道を聞かれたときの表現は?

今回の記事では、お店の店員さんも英語が話せるようになるべきか?という点について、個人的な考えを書いていきます。

英語は話せる『べき』なのか?

最初に書いた通り、私は昨日まで出張で日本に来ていました。

1週間しか日本にいられなかったのですが、滞在中はラーメンにお好み焼き、寿司におにぎりと日本を満喫しました!

先日行ったお好み焼き屋では、右隣はヨーロッパ系のカップル、左隣は中華系のカップルに挟まれましたが、店員さんの対応は基本的に日本語でした。

1名、英語でメニューの説明をしていた店員さんもいましたが、全員というわけではなかったですね。

『お冷いかがですか?』って日本語で言っても通じないでしょう。

ジェスチャーで『お水だな』と分かるとは思いますが。

正直に言うと、京都のように外国人の多いところでもこうなのかな、と感じたのは事実です。

それと同時に、どう『あるべき』なのかではなく、何が『望ましい形』なのか、ということをツラツラと考えながら、お好み焼きと生ビールを堪能していたのでした。

外国人対応のために、店員さんも英語が話せるようになるべきか?

日本に来たら日本語が当然、という意見

日本では日本語で話すことが当然、という意見を言う人がいますね。

率直に言うと、この意見も一理あると思います。

私は必ずしも『日本人は全員、英語が話せるようになるべき』とか『日本語を廃止して英語を採用すべき』と考えているわけではありません。

また、日本人が日本にいて日本語で話すことに悪いことは全くない、とも思っています。

ただ、短期的な旅行者に日本語を話すことを期待することは現実的ではないですし、日本人の側も『英語が話せたほうが色々と得じゃないかな』とは思います。

基本的には、そこは個人として『英語が話せることのメリット(または話せないデメリット)』をどのように見出すのか、ということに尽きるわけですね。

それは結局、『どうありたいのか』という観点から『では、どうすればいいのか』を考えたときに、そこに『英語を話す』ということが入ってくるかどうかによる話です。

必要のない人には必要ない、というのが現実的な話でしょう。

英語が話せるようになりたい動機は?

英語が話せるようになりたい、と思う場合、動機はいくつかあると思いますが、基本的には次のように分けられます。

  • 英語を話せることにメリットがある
  • 英語を話せないことにデメリットがある
  • 単純に英語が好き

一番最後の場合は別として、英会話の習得には時間と努力(場合によってはお金も)が必要ですよね。

労力と時間をつぎ込む、つまり投資をする必要があるわけです。

それだけの投資にどのような必要があるのか、メリットがあるのか、という点は、英会話を身につけようとする場合の推進力になります。

逆に言うと、そのようなメリット(またはしない場合のデメリット)がない場合には、なかなか労力も時間もお金も費やせません。

結局は前項で書いたように、個人戦略レベルで『どうありたいか(生きていきたいか)』ということに戻ってくるわけですね。

『英語を話すこと』が個人レベルを超えるとき

企業や国家戦略レベルで見た英語力の重要度

しかしこの話は、実は個人レベルでは留まらないテーマでもあります。

『企業戦略レベル』そして『国家戦略レベル』でも同じことが言えるわけです。

つまり、構成員(社員や国民)が英語を話せるようにすることは『投資』であり、そこにはメリットの認識と決断が必要、ということですね。

上のお好み焼き屋の例で言えば、お店として『英語が話せる店員を探して雇う』または『店員に英会話教育をする』ということが投資です。

そして、お客さんが増えたり売り上げが上がったりする、というメリットがあればやる、という話なわけですね。

ですので、必ずしも店員さんが全員英語を話せる必要もなく、投資のメリットから考えてそこには拘らない、という決断もアリかな、とは思います。

企業にとって店員の英会話が重要かは投資メリットによる

楽天やユニクロの英語公用語化の背景

なお、私の勤務先は諸外国に展開していますので、企業戦略的に社員の英語レベルの向上には大きな直接的メリットがあります。

会社もそれは認識していて、昇進にTOEICを導入したり、色々と勉強会などを実施しているようです(その割には、個人レベルではメリット・デメリットの認識が薄い感じですが・・・)。

一時期、楽天やユニクロなどが社内で英語を公用語にした、という話がニュースになりましたよね。

あの決定には『首脳部として仕事ができるなら日本人でなくてもいい』という明確な決断があったのだと推測しています。

その際に、社員が英語が話せないことのデメリットを認識していた結果、あのような決定になったわけです。

つまり、人材獲得と世界的な競争力の強化という点から、英語を『基本的インフラ』として定義したわけですね。

その決断は、外部の人からの評価はともかく、それぞれの会社の戦略と合っているものだったと個人的には考えています。

人材獲得競争と『インフラ』としての英語

経済競争が激しくなるにつけ、世界中で人材獲得競争も激化しているのが現実です。

その際に『英語がネック』というのは文字通り『首が締まる』結果になってしまいます。

その点、アメリカが有利だな、と思うのは、英語と言う基本的なインフラが整備されているから、世界中から人材が集まってくるんですよね。

アメリカの優秀な大学には世界中から留学生が集まっており、まさに『頭脳を輸入している』状態になっています。

よく、アメリカは初等教育を他の国にアウトソースし、他の国は高等教育をアメリカにアウトソースしている、と言われますが、そのような循環が起こるのも英語がインフラとして機能しているためです。

翻って日本を見たときに、そこまでのインフラが整備されているのかな、という点にはどうしても不安を感じてしまいます。

このようなインフラ整備は、一企業の努力だけでは無理がありますので、それこそ国家戦略レベルでの投資の決断が絶対に必要である、と私は考えています。

英語と言うインフラが整っているアメリカは人材が世界から集まる

東南アジア某国の大胆な英語教育政策

この点に早く気づき、大胆な政策を行った国があります。

それはシンガポールです。

シンガポールの大胆な英語教育

英語はシンガポール人にとって『母国語』ではない?

シンガポールは英語圏の国として知られていますが、実は英語は公用語の1つ(公用語は4つあります)ではあっても、全ての人にとっての『母国語』ではないんですね。

中華系の人は仲間内では中国語(場合によっては福建語や広東語、潮州語)を話し、マレー系はマレー語、インド系はタミール語を普段は話しています。

1980年代までは、必ずしも全ての人が英語を話せるわけではなかったようで、むしろ、高等教育を受けた人だけ、というのが現実だったようです。

学校の授業を全て英語で行うことで、英語を基本インフラに

しかし、シンガポールは国際貿易や金融などで成り立っている都市国家ですので、外国とのやり取りは不可欠。

そのため、国民が英語を話せないデメリットを強く感じたシンガポール政府は、1980年代に学校教育を英語で行うことを決定しました。

文字通り英語を『基本インフラ』として定義したわけですね。

その結果、現在はほとんどの人が(バラつきはあるが)英語を話し、特に30代以下の若い人たちは非常に流暢です。

なお、このようなシンガポールでも英語がネックで落第したりする人も少しはいるようで、そういった人は自分の民族を対象にしたビジネスに従事するようです。

ただし、これは小さな国の強権的な政府だからこそできた話であり、日本で全国民を対象にここまでやるのは現実的ではないかもしれません(一部の学校では理数系科目を全部英語で講義、という話を聞いたことはあります)。

しかし、経済競争に勝ち抜いて日本経済という船を浮かべておくために、『英会話は基本インフラの1つ』という認識を国としてもっと強く持つべきではないか、と日頃から感じることはあります。

まとめ

お好み焼きから出発して国家レベルの話まで飛躍してしまいました。

個人レベルでも企業や国家レベルでも、英語が話せることと競争力はかなり結び付いています(全てではないですが)ので、もっと国全体で英会話力の底上げがあればいいのにな、と思っています。

もっと言えば、日本国内の話だけではなく外にも出ていけるようになれば、個人レベルでも人生の選択肢が増えます。

また、そのような人材が多く出てくることは、企業や国家レベルでは非常に重要なことであると、私は強く信じています。

そのために、このブログが少しでも役立てば幸いです。

むさし

トップへ戻る